最近では我慢も辛抱も同じような意味と受け取られることが多いですが、仏教ではそのとらえ方が少し違うのです。

我慢とは実は自己の中心に我がありその我を中心として心が驕慢(おごりたかぶる)であること。我に囚われることとして、「煩悩」の一つに数えられているのです。

我慢は「慢に七慢あり」として以下の7つに分類されています。

1、高慢(劣っている対象に対し自分の方が上だと思う)

2、過慢(優れている対象に対し自分の方が同等だと思う)

3、慢過慢(優れている対象に対し自分の方が上だと思って他を見下す事)

4、我慢(自我に執着し我尊しと自惚れ、それをアテにする事)

5、増上慢(悟っていないのに悟ったと思いあがる事)

6、卑下慢(自らを卑下して劣等感に落ち込む事)←高慢の裏返し

7、邪慢(自分には徳があるとして、自分は偉いとおごる事)

龍樹という昔のインドの仏教学者は 「仏性を見んとおもはば、まずすべからく我慢を除くべし」と仏道修行には我慢を取り除くべきだと書き記されております。

よく言う我慢の限界・堪忍袋の緒が切れるとは、我というものにモノを詰め込むから限界が来ることなのです。まず我を持たず「無我」になるべきです。

つまりは思いあがった自我を捨て、仏さまにお任せするという心を持つことが出来れば限界や堪忍袋は切れません。

そうは言ってもなかなか今のご時世では難しいところがあります。

ですから我々が すべきは辛抱なのです!

何もかも我慢すれば良いのではなく、先の明るい未来の為に現状をこらえ忍ぶことが辛抱です。

慢心を起こさないように、常に題目を唱えつつ、自分を謙虚に反省していくことが大切なのです。